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10月のトレーニングの会

月末のトレーニング会へ。

バスに乗り遅れて遅刻していたんだけど
体調が芳しくなかったので途中でスーパーに寄って
即効性のありそうななにかを物色。

空腹ではないので栄養ドリンク的なものを飲みたい!
と探していたら米麹100%の甘酒があったので購入して事務所へ。

甘酒って結構好き嫌いがありそうな気がしたから差し入れとしては買わなかったけど
好きな人には好かれそうな、優しいいい味だった。
米ってこんなに甘くなるんだ。


10月誕生日の方のお祝いをして
お手製のすこぶる美味しいビスコッティをいただいて
甘酒をのんでいたら調子がだんだん戻ってきた。



みんなの日常は
格闘のようでもある。

築城や山越えのようでもあり
発見に満ちていたり
弔いやクリーニングや
セルフセラピーのようでもある。

挑戦や笑いや涙や
憤りや不安や寂しさ悲しさ

様々なことがあって、
でも生き様そのものという感じがして
たとえこれしかできていない、と言っていたとしても
みな真剣にそれらを見つめていたり向かい合おうとしているので
時間を忘れていつまでも聴いていられそうな気がする。

自分では気がついていないけど
誰かが自分をオープンに語ることで
あれ、私にもこれあるなーと気がついて
ますます自分像が立体的に全体的に見渡せるようになる。

陰陽のまが玉がくっついたようなあの球体のような感じ。


場自体がセラピーのようになっている気がした。


ある方があるPCゲームをした話をしてくださったのだけど

その時必要なものをそういう形で選んでいてすごいなあと思った。

ゲームに限らず漫画とか本とか映画とか
アウトドアやスポーツや料理でもなんでも
心が赴くままにやるものはそういう要素があるのかもしれないなあ。
こころレーダーは精密だ。


私が話したことについてもいろんな角度からシェアをもらった。
そんな風に見てもらえるんだ、と嬉しかった。


でも書きながら本当に驚いてしまうんだけど
もらった具体的なストロークをボロボロ忘れているのだ。


ほんとびっくりするわ。
びっくり の「っ」を連打したいくらいびっくりする。


まだ受け取れないんだろうか?
まだなんか要らないものが心を占めているんだろうか?
自分のためにも相手のためにも受け取りたいと思っているはずなのに。

かなりがっかりする。あーあ。課題だ…。



シェアの途中、町工場や専門店の話が出た。

ある方が和三盆糖の話をしてくれて
そこから金箔の話になり
お笑いの方の話や
町工場の話に発展したんだった。


私はガ◯アの夜明けなんかの経済番組で

「下請けだけだった町工場が一時は倒産に追い込まれたけど自社の技術で世界に羽ばたいていく話」

みたいな特集をやっているとつい見てしまう。

それはただのサクセスストーリーではなくて
日本文化を継承するための結果であったり
地域のお年寄りの生活を守るための結果であったり
もっと美味しいものや良いものを作りたいとか
その技術が好きで好きで楽しくてたまらなかった、という気持ちの結果であったりする。


自分の役割や使命に誠実で、どこかしら愛がある。

たくさんのことはできないけど
(たくさんのことがマルチにできるという才能や役割もあるのだろうけど)
真剣に向き合うのでだんだん個性が際立ってくる。
その個性が愛されたり必要とされて
周りも助かって幸せだし
何より本人が楽しく幸せそうだ。


そういう生き方はとてもカッコいいなと思う。


でも、みんなそのように生きているのだな
とも思う。


帰り道、月がとてもきれいだった。



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JOY

ある素敵なセラピストさんから
交換セッションしませんかとお誘いいただいた。


嬉しいけどちょっと緊張もしながらその方のセラピールームに行った。

緊張というのも、実はあまりその方と親しく話したことがなかったから。
雰囲気のいいきれいな方だなと思っていたので
このような流れになってワクワクもするんだけど
その分ドキドキもする、という感じ。
それに
交換って言ってくれるけど
交換できるほどの何かをちゃんと差し出せるんだろうか私は
と思っていたからだ。

わかっている。やった分だけのことがあらわれるだけで
それ以上にもそれ以下にもならないから
「できるんだろうか」も何もないのは
十分わかってはいるけど
その気持ちが存在するのも確かで。


そんな自己否定気味人見知りモードを全開にしながら
目的地に向かっていたら
心の迷いを現すかのように道に迷ってしまった。
で、20分も遅刻。

貴重な時間を本当に申し訳ない。

でも息をきらしてゼイゼイ言いながら歩いていたら
迎えに来てくれて、歩きながらお話をしていたら
思いの外楽しくて、セッションに入ることなく2時間も経過していた。

しかし、せっかく時間を作っての機会なのでセッションしあう。


はじめに私がクライアント役をさせてもらった。

その方のオリジナルヒーリング方で誘導してもらい
ものすごくリラックスして潜在意識にダイブ。

この方はこういうクリエイティブな、瞑想や誘導が楽しいと言っていた。
自分の喜びが人の喜びに繋がる仕事を、もうやって行くのだと。
もう、というのは多分どこかで切り替えたという意味だ。


いろいろあるんだろうけど、楽しそうだ。


私もそうしたい。

そうでないと、もう生きて行けない
(と比喩ではなく思っているものの何かがストップかけてる気もすることに書きながら気づく。やっぱりそうなのか。)


数日前、トレーニングの会で6ステップリフレーミングが面白いと感じたのだけど
この日私が出したお題が
「あることがうまくできない」だったので
6ステップと同じような手法でセッションを進めてくれた。

私の中のできないちゃんは赤っぽいエプロンワンピースを着た少女の姿だった。
違う知恵で助けてくれるためあらわれたのは
柔道金メダリストの塚田真希選手のような力強い感じの人。



なんで塚田真希…



意外な人の登場に笑ってしまった。



「塚田さん」はパワフルに、思いもよらないやり方をアドバイスしてくれた。

そして

とにかくさあ、それを練習するんだ!
できないっていっても訓練するしか道はないよ!

と道着でガッツポーズして熱く語ってくる。

正直、そのやり方はいまいちどうやるのかピンとこないのだけど
それをあらわすヴィジョンは、妙にはっきりとしていた。
分からないけど試す価値はある、と思って試してみたら
なんとなくイメージとしては分かったような気が…する。

その後あらわれたドクター風の人にも
私が瞑想をサボっている、とか
今の2倍感覚に気を配れとか
具体的な指摘を受けた。
ドクターは容赦無い。けど愛だと思った。

とても心地よく、面白く役に立ったありがたいセッションだった。


終わってシェアしたら帰り時間が近づいていたけど
このまま帰るわけにはいかない。
貰いっぱなし感半端ないんだもの。


なので、私が今できることを羅列していったら
レイキと夢療法に興味を持ってくださった。

「そういえば、夢を散歩してみたいって言っていたところだったんです!」と
また素敵なことを仰る。


夢を散歩か。


楽しくて自由な表現をされるなあ。

夢も潜在意識が見せているものだから大事なメッセージがある。
でもなんか意味不明な映像や感触だったりすることもよくあるから
散歩したら発見がたくさんあるだろう。

夢療法はゲシュタルト療法のひとつだけど
催眠下でやったらもっとイメージが湧いて楽しいだろうと思って
レイキをかけながら催眠誘導し
夢の中へ入っていってもらった。


壮大な夢の散歩から戻った後
その方は笑顔で

とてもいいセッションだった
夢療法(開業したらメニューに入れて)やってください!

とおっしゃってくださった。

私自身も、
自分が癒やされるような気がしたし
「交換」ができて、ほっとした。
何よりやってて楽しかったなあ。


帰り際
引いてみませんかと言われて引いたオラクルカードが折しも

JOY

だった。

喜びや楽しさに意識を向けるとすべてうまく回るよ、という意味

だっだと思う。
解説の文章を忘れてしまったけど多分そんな感じだ。

そうだな。
喜びは原動力だもんな。

たいして楽しくも嬉しくもない事だったら
きっと始めは達成感とか承認欲求的満足とか
そういう周辺のもので何とかできるだろうけど
長期的にはエネルギーが枯渇していってしまう。

この日私は交換させてもらって楽しかった。
いいなあと感じる人と、自分のできることをして
豊かで、エキサイティングな時間を過ごさせてもらった。


もらうだけでなく
できることがあって、それが自分も楽しくて
しかも喜んでもらえるのはやっぱり嬉しい。


嬉しいなあ。


それができる環境に今いるっていうことが
とってもありがたい。

ご縁とか流れとか支えとかすべてに頭を下げたい気持ち。

楽しいことや喜びを感じることで
こうしてうまくまわるのなら
やっぱりもうそうするしかないのだよなあ。



感じることって

朝、洗濯物を干していたら、ベランダに蝶が止まっていた。

遠目で羽根を閉じているところを見たら
蛾のような黒茶色だったので

うわーー蛾か………

と思いながらも怖いもの見たさでじっと見ていたら
羽根を広げたり閉じたりし始めた。

その広げた内側…というのか
よく標本で上向きになっているほうの色が
すごく印象的だった。


ディープブルーからグリーンやマジェンタのようなグラデーションの
ベルベットみたいな質感の色。
光の加減によってその色が微妙に変化して
宇宙みたいな色をしている蝶々だった。

そんなの初めて見たのでじっと見つめていたら

どうぞ見てー

とでも言うように綺麗に羽根を広げてしばらくその場で止まってくれた。

写真に撮りたかったけど、
スマホを取りに行っている間にいなくなるより
見ていたいな
と思ってる間に飛んで行ってしまった。


何かか誰かの御使いみたいだと思った。



しかしなんのメッセージかはわからなかったので
ぼんやり良い気持ちだけしてヒプノの講座へ。



この日は美味しいいただきもののばかりの日。


最近とにかくスペシャルに美味しいものをいただいてばかりいる。


新米に、利尻のとろろ昆布に、庭で採れたという生栗
ビッグサイズのマフィン、レモンケーキにハーブティー
理念も素晴らしい企業のさつま揚げ、ハロウィンのかぼちゃババロア、かわいいうずまきのクッキー
長崎の角煮にヘルシンキのチョコレート

などなど。

ありがたい限りです本当に。


スペシャルに美味しいものは
たいてい好きな人に貰うとか一緒に食べるとかして
そういう背景が含まれたうえで
記憶に刻まれていって、
私のこころとからだの栄養になっていくのだなあと思う。


この日は野菜の滋味深い美味しいスープと
優しい気遣いと嬉しい気持ちがダブルで溢れている美味しいパンと
地元のパッケージも可愛い美味しいコーヒーをおすそ分けしてもらった。


なんだこれ。


文字にするとますます幸せじゃないか!!


私はごはんも好きだけどパンもたまらなく好きで
いやパスタとかピザとか炭水化物全般が好きなんだけど


美味しいパンとあたたかいスープ

とか

焼きたてパンと香り高いコーヒー


とかいうフレーズにとても弱い。

文字を見るだけでうっとりしてしまう。


そんなものを、いっぺんにいただいたら
嬉しくないわけがない。


どれも、いただきながら


むっっはーーーうまいーーー!


と言って宙を仰いでしまうような美味しさだった。

なんていうか、味が好きというのはもちろんなんだけど


シンプルに嬉しいのだな。


分けてくれる優しさとか
一緒に食べて楽しいことが。


嬉しいことをきちんと嬉しいと感じられるのは
人としてすごく幸せなことだ。



授業の内容は主に解離を使ったセラピーの話だったけど
その中でセンタリングの話もあった。


他のことで頭がいっぱいだったり
やむを得ない事情があったりして
自分が何を感じているのかわからなくなるときが人にはある。

生き延びるための手段だったかも知れない。

それは、そもそも感じられないからその時はあまりわからないけど
結構苦しいし、辛いし悲しいことだと思う。

私にもあったなあ。



でも、取り戻そうとすればできるのが人でもあると思う。
もちろん例外とか限界もあるけど。

麻痺した手や足をリハビリして動くようにするみたいに
からだの隅々まで喜びで満たされるような感覚を取り戻すこともできる。

いきなりはできないから、
もどかしくて嫌になったり
いったいいつまでやればと途方にくれる思いもするけど
そして個人差も絶対にあるけど
希望もある。



美味しいものを美味しいと感じて
嬉しいことを嬉しいと感じて
怖いことを怖がって
イヤなことはイヤだとわかる


そういう感覚って
生きていて自分という肉体があるからこそわかるんだな。

それは皆に共通しているものもあれば
自分だけが自分らしく感じるものでもある。


自分が感じる感覚をじっくり大事にできると
生きているという感覚がある。
私にしか感じられない嬉しさとか幸せとかを
私が感じているという
いわゆる「かけがえのない」生命感がある。

それは人と違うことも多々ある。

だから
美味しいものを一緒に食べて
美味しいー!
と笑いあったり
嬉しいことを嬉しいと共有させてもらえるのは
やっぱり生きている上で大きな喜びだなと思う。


しかしまあ
美味しいものをいただいてこういうことを考えたり感じるってことは
私は食べることが相当好きなんだな。


多分周りの人からは
何をいまさらと仰天されるようなことを
改めて自覚した気がする。


自分を知っていく道は長い。



そういえば、講義が始まる時、先生がお線香をたいていて

なんで今日はお線香なんだろ?

と思って口に出さずにいた謎が帰り際に解けた。


私が洗面所のレールにポイと掛けていたストールを
あちらの世界のものかと思ったのだそうだ。

そりゃそうか、
まさかそこに掛けるか?ってとこに
シーツみたいな布がでろんと無造作にかかっていたらぎょっとするだろう。


勝手知ったる感じで使わせてもらってホントすみません。



それにしても、いつもそんなに鮮明に見えちゃうってことなんだなあ。


私はあまり見えない方なので、一体どんな風な世界なのかなあと素直に思ってしまう。


でも、もしかしたら
朝見た蝶々もそうなのかもしれない。


なんて思ってみたりする。





賢者たちにひれ伏す私

ヒプノのトレーニング会へ。

トレーニングの前にお茶やお菓子で雑談。
雑談といえど示唆にとんでいるんだけど
いろんな楽しい話題が湧いてくる中で、
ある芸人さんたちの苦労や優しさについての話が出た。

とても見てみたかったので後日youtubeでその番組を見たら
大御所と呼ばれるその芸人さんたちから滲み出る優しさや真剣さや
演者としてのカッコよさがどかんと出ていた。
結構悲惨だと思われる場面を笑いながらもいたわって
酔っぱらいなんだけどカッコいいオトナだなあという感じがした。

言われのないことを言われることはあるけど
たぶんそれは何をしていてもそうだ。言いたい人は言うのだ。
だからってその人の価値自体には傷がつくことはないし
分かる人にはわかるし、何より自分がわかっているのだからよいのだ。

でもやっぱり気持ち的には傷つくこともあるから
周りにこんな優しさを持った人がいてくれると救われるだろうな。
たぶんそういう自身の傷つき体験なんかを全部通り抜けての言葉や行動なのだろう。


まあその動画の話はおいておいて
今回も、私のパートナーの方は心にひっかかるひとつの光るお題を出してくれた。

この作業は砂金を取り出すようなものだなとふと思った。
丁寧に優しくゆすって核心を見つけていく感じが。

その大事な光るものの中に一緒にダイブさせてもらう感じが
私がヒプノを好きな理由のひとつだ。

まずはセッションの方向を定めて行くのだけど
私が思いついた案を聴いたうえで先生が別の案を提示してくれ
さらにその折衷案をもパートナーの方が出してくれた。

なるほどそうなんだ。勉強になる。

ひとつのものに対して私が見る範囲というものには限界があって
それを別の視点から広範囲に見て助言してくれると
その視点を自分の今後に取り入れることができる。
たくさんの視点の獲得になる。だからありがたい。
しかもスーパーなやつだ。
またひとつ自分の枠を知った気がした。知ったら外すこともできる。

最終的にはクライアントの方の意向を聴いて決めたいし
セッション中に潜在意識がこうと言ったらそれに従うのがベストだと思うけど
一応の方向の可能性はたくさん見えていたほうがいい。

そんな経緯を辿って実習へ。
私は今たくさん経験したいのでセラピスト役になるのは正直ありがたい。
いやクライアント役も勉強になるんだけども。



今回は6ステップリフレーミング。

その人の潜在意識の叡智を使って
ある変容させたい行動や思いをパーツ化させ
別のよりベターな方法の可能性を探るというパワフルなもの。

全部で4人の心の中の人々に出会った。

最初に出てきた人も、本人に優しくあろう、生かそうとして
問題と見えるその役割をやってきたのだ。
でも次々出てきてくれた個性豊かな人たちも、本人を今よりもっと助けようとして出てきてくれた。

最初こそその人たちの個性の違いにとまどいが見えたけど
それでも、その心のパートの人たちが協力しあう未来を見てもらったら
みんなが個性的に生きつつ方向は一緒でいて
最初の人も元気になっていたのが印象的だった。

思わず「あー元気になっているんですね-」と感嘆してしまった。

つまりはみんな本人を助けに来てくれてもいるけど
結局それが最初のパートの人をも助けていることにもなっていて
出てきてくれた人みんな優しいんだなと思った。
それは本人の優しさでもあり受容の深さでもあると思う。

顕在意識で問題提起してくれるという行為がすでに自分を助けようとしていることな訳だし
その問題と思えたパートも
その後出てきてくれたパート全員も
自分本体を助けようとして、その自分の中には
パートさえも含まれる
という全体性の力が、すごいなと思った。

潜在意識はでかい。

そしてみな賢者だ。

賢者達の話を聴いているとすごいことをみなおっしゃるので
私はアホみたいに
「あーなるほど」
「なるほどねー」
「はー」
「うーん」
「なーーるほどーー」
と繰り返すだけの人になっていた。
文字に起こすとよりアホっぽいな。
だってみな鋭いこというのだもの。

自分で自分を癒す叡智の前では本当に私はただのインタヴュアーか
なんていうのか・・・ただそばにいる人だ。

そこがヒプノのいいところだ。

いや、ヒプノの、というか人の本来の力の、素晴らしいところだと思う。
それを自然治癒力というのかなんというのか
とにかく善い方向へ向かう力がその人の中にあって
それがその人自らの表現で見えるのが、いい。

6ステップ面白いな。


この日はまたも美味しいおすそわけをいただいてしまった。

ジンジャーとオレンジピールが入った美味しいハーブティーと
老舗の品格のあるレモンケーキ。
ハーブティーにティーパックをつけてくれる細やかさを見習いたいなと思った。

そして
トレーニングの会のはじめに
先日セラピーの練習で、亡くなった友人M子さんに会ったという話をしたら
素敵なものを先生がプレゼントしてくださった。

M子さんの雰囲気にそっくりのチャーム。
眼に入るたびにM子さんが感じられるようだ。


チャームを通して私がM子さんを思い出したり、会うということは
チャームがこちらの世界とあちらの世界のつなぎ役やパイプ役をしているということだ。


ヒプノセラピストもいわばそういう役割のものなのだろうか
なんて思った。




文殊の知恵がたくさん生まれる

もう9月も末か…と思ったら今日はもう10月になっていた。

9月は風邪で体調が悪く、それなのに予定もけっこうあり
なんとかして動ける程度に身体を整えないかん、ただし強引でない方法で!
と身体をケアし続けた月でもあり
新しい人間関係にいろいろ思うこともある月でもあり
自分の物事との距離感などを考えなおすこともあり
あっという間で濃いひと月でもあった。

そんな月の最後に恒例のトレーニングの会に出席。

体調の悪い方が多かった。
病むこともまた懸命に生きていることの一面なんだよな、と思う。
自分が病むと辛くてそんなことを思っていられないんだけど。



この日のシェアでは私は自分の自信というものについて感じたことを話した。

自分は努力して出した結果に自信を持つ傾向がとても強かったけど
それだけじゃなくて自分のあり方(あり続け方)を信頼することにも自信を持っていいのかな
だって結果は外的なものである場合も多くて揺らぎやすく
それに反して自分の姿勢やこうありたいと思う気持ちは真実だと自分が知っているし
その姿勢に則って努力してきた自分はとても信頼に値する
(姿勢が揺らぐこともあるけどまた戻るタイプだと知っている)

何かができないという経験はもう十分したけどこれからもいろいろ出てくるかもしれない
でも、できないことは哀しいことであるけど必ずしも自信を失う必要はなくて
哀しいねえ残念だねえと感じる自分を疎かにせず
というかそれこそが私の感受性なのだと大事にし
こうありたいねえという方向に努力を諦めず
それでたとえ努力の結果がでなくても、よくやっている自分を誇らしく思う
それを誇らしいと思える自分を信頼している
っていうことを「自(分を)信(頼している)」って言っていいのでは
たくさんある自信の柱のひとつとしてそれも大事なものなのでは

みたいなことを、うまく言えたかどうか分からないけど言った気がする。

その話に対して皆がいろんなシェアをしてくださり
お菓子の説明書きや畑や米や蔵など
とてもわかりやすい喩え話で、私の気付きを尊重しつつ
さらに視野を広げてくれた。

そのおかげで、自分の行動のパターンがなんとなく見えて
あ、なんだそういうことか・・・とまた新しく気がつくこともあり。

ひとつ自分の固定した視点を抜けだして、こうだった!
と思ったらその先に
実はこうでもあるよ!という視点が存在して、それを分かち合ってくれる

しかもそれが、なにか別のものが混ざっているような面倒な交流ではない
ということに安心して信頼していられるからまた自分に立ち返り
「実はこうでもあるよ!」のそのまた先の視点の獲得も可能になる
で、多分終わりなく続いていくんだろうけど

なんとまあ、ありがたいことなんだろうか。


自分の話についてそんなことを思い
他の方のシェアや交流にも
相手を大事にすることや素直な自分の気持ちの表現や
ムリをしない姿勢や細やかな心の動きを逃さない客観性に
変わらぬ敬意をいだき

ワークへと入った。

どうしますかと問われてある方がお題をだしてくれた。
しかもそれがみんなにとって共通する非常に大事なものだったってことがまたすごい。

自分にとって衝撃的な言動をとられた時
とっさに自分が納得する行動ができない時がある。

純粋に疑問、あるいはくやしい、心残り、そんな自分が嫌などなど
これでよしと自分が思えなかった場面はみんなある。

それを次どうしたらいいか?でもあるし
これでよしと納得して心残りを終わらせるワークでもあったと思う。

自分と違う発想や口調や言い回しを聴くと
それを取り入れたいと思えば自分に取り入れることができるのがいい。
自分であれこれ考えても
思考やパーソナリティの限界があるもの。
シェアでも新たな視点獲得の日であったけど
ワークでもそういう感じだった。
新たな対応力のヒント獲得の日。

・・・それにしても、みな結構なツワモノと日々格闘しているんだな。
そのツワモノ役もそれに対峙するツワモノも
真剣なんだけどおかしくて、勉強になるけど腹筋から笑ってしまった。

そういえば、私のケースの時は私ひとりで終わってしまった。
みんながどう対応するかを聴きたくもあったな。
自分でも心残りで、次どう言うかを考えていたケースだったから
言いたいことが言えたと思うけど
どんだけ腹を立ててそのことについて考えていたんだ!と
自分にツッコミを入れたくなる瞬間でもあった。

ワークを終えてピザを頂いて
この日を終えた。


この日、旅行の写真をフォトブックにしたものを見せてくれた方がいて
とても素敵だった。

風景や花や動物の切り取り方に雰囲気があって
でも随所にちょっとクスっと笑えるところがあって
人柄のあらわれる作品だなあと思った。

手作りの作品ってみんなその人があらわれるのかもな。

いや、作品にかぎらずちょっとした言葉や行動や小さなことでも
向かい合う姿勢みたいなものは
すけて見えることがある。

自分を振り返ると、すけてみえて恐ろしいと思う反面
姿勢が知らないところで即結果にもなってるってことも言えるんだな
なんて思った。




プロフィール

あや

Author:あや
インナーチャイルドセラピー
ヒプノセラピー
アクセスバーズ等のセッション
及びアフターカウンセリングを行っています
(女性限定)


ウェブサイト
 http://aarteeni.net/


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