私の怒りとのつきあい 4

近県で災害。
自分がもし、と想像しながら家の中を見渡すと
思い知ることがたくさんある。

無事の救助と安全と…こころや環境が落ち着くことを祈るばかり。



続き。


セラピーは受ける側でも、する側でも
感動を伴う。

人の人生の重みや奥行きの深さや
よりよくなりたいという力から導かれる
いろんな感覚や感情やイメージに触れると
自己治癒力の素晴らしさに圧倒される。
その人自身が自らを癒すことができるってことを目の当たりにする。


だから好きだ。

怒りを抑圧して、その解放を願って、
好きだなあと思えるところにたどり着いたのか。

そう考えると
怒りのエネルギーのおかげとも言える。


なんだかこう書いていると
ヒプノ イコール 抑圧の解放
みたいな誤解を与えてしまうかもしれないけど
そうではないです。
たまたま私が抑圧の解放を願って
それが潜在意識とつながること(催眠状態)でできたというだけで
どんな方法を使って解放してもいいし
どんな目的でヒプノを使ってもいいと思う。

もちろんセラピーで一瞬にしてたどり着いたわけではなく
教育分析と同時進行して解放や気づきや新たな視点の獲得などを
積み重ねた結果であることは言うまでもないのだけど。




怒りの感情って、そんなに好まれるものってわけでもない。


なんでなんだろう。

攻撃性と結びついているように見えるからかな。
暴力とか怒号とか。
イライラしてる人の側にいるとなんか居心地悪いし。

暴力は私も受けたくない。

でも、たとえば
神様に怒りたくなるような
一生かかっても、仏にでもならなけれは許せないような
理不尽な暴力を振るわれた人がいたとしたら
人としての個を超えるような怒りを感じる人もいると思う。

そんな人に「怒るな」なんて絶対に言えない。

だからといって
仇討ちみたいに理不尽な暴力と同程度の仕返しをしたり
周囲にまき散らしたりするのは
その人にとっても幸せなことではない。
反対に抑圧すればいいってわけでもない。
内側に向かったら病気になってしまうかもしれないし。

だとすると、
自分が何を感じているか感じること と
暴力でない表明
(表明しないとか離れるとかも含めて)をすること

幸せに生きる道につながるんじゃないかなと思える。


許しましょう とか
手放しましょう とかいうのは
十分感じてからで良いんだ。

すごーく怒っている、っていう感情をちゃんと感じたら
実はとても怖かったからとか不安だったからとか悲しかったから
ということが感じられるかもしれない。
私の父に対する怒りはこのパターンだった。

これを感じないで、
怒りだけ頑張って手放したり忘れたり許したりしたら
また別の感情の抑圧を生むだけなのかもしれない。


きっと怒りやネガティヴなものも含めて感情は
その人らしく生きるためのセンサーのひとつみたいなものなんだと思う。

何に怒っているのか
何に悲しみ不安や恐怖を感じ何を避けたいのか
避けて自分はどうしたいのか
どれを選択して生きていきたいのか

それがわかるセンサー。
それをもとに自分の輪郭がはっきりしていくような。

それは誰にも等しくあって
だから誰かとの関係を大事にしたいと思うのなら
相手のも自分のも等しく大事にしたいと思う。

だからこそ
衝動レベルになるまで育てないで
抑圧しているものがあったら解放して
していないものについては
これはなんなのかと自分で気がついていけると
自分も相手も尊重したまま
建設的になにか育んでいけるんじゃないかと思う。


だんだんと少しずつではあっても。



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私の怒りとのつきあい 3

続き。

その抑圧をどうやって解放するか、
ということを模索する過程で
ゲシュタルト療法やヒプノセラピーと出会うことになった。

出会う前にも、
ヨガや呼吸法やエクササイズ系、
代替医療系その他身体からアプローチする方法や
ノートに気持ちを書き殴るなどの手軽な発散系の方法
などもいろいろ試していて
それぞれに良い効果があったと思う。

今は本当にいろいろな手法が知られていて
そういう意味では良い時代とも言える。
誰でも、幾つかやってみると自分にフイットするものに出会うんじゃないかと思う。


私のケースでは、感情をリアルに感じて声に気持ちをのせて出すということが結構効果があった。

ゲシュタルト療法のエンプティチェアや
ヒプノセラピーの中で
声に出して自分の言い分を言う。
声に出そうとすると感情が実感を伴って出てくる。
この感情エネルギーの「実感」が
抑圧の解放に役立つのだと思う。
(これはカウンセリングでだってできることだけど
抑圧傾向のある私はヒプノの方がより実感して気持ちを吐露できる気がした)

感じないようにしていたことを
感じることで、放電するようなイメージ。

放電すると、パンパンになっていた心の容量に
少し隙間が空くので、違う視点で考える余裕が生まれるし
うわー、こんなこと感じていたんだ
と自分のことが実感としてわかるだけでも
私のコドモ心が理解された喜びを感じる。


セラピーは数回受けたけど
初めの頃、出会いたての私のインナーチャイルドは
ただもう怒り泣きして、たいした言葉も発することができなかった。

そんな姿を見て、

うへぇーーこんなに怒ってる…どうしよう

と途方にくれたけど
ここで「どうしよう(=どうすれば怒りを収めてくれるか)」
と思うこと自体が私のクセであり
抑圧の一因でもあるわけなので
ただもう 怒っているという事実そのものを
受け止めていくしかなかった。

受け止めていくことで一体何が変わるのか
見えないうちは不安でもあったし
もう十分受け止めているはずなんだけど、まだなのかな?と困惑もした。

でもこれはもう人間関係みたいなもののような気がしている。
頭の思い通りにはいかない。

受け止めていくうちに、
だんだん理解できるようになっていく。

そうすると、少しずつ心を開いてくれる。

よりわかるようになる。

嬉しい。ほっとする。より大事にしたくなる。

いい循環が生まれて、楽になる。

こういう一体感とか理解感、つながれた感覚が癒しというのかなと思った。


楽になると、

私はこういうことがあると悲しいんだよねー
などと普通のトーンで表明できるようにもだんだんなってくる。
衝動がないから抑圧もそんなにしなくてよくなる。
抑圧にエネルギーを使わなくていいと
より分かろうとする方向や
なんて表現するかとか
あれ、私の捉え方の問題かな?とか
別の方向にエネルギーを使うことができる。


相手にエネルギーを過剰にぶつけなくても
セラピーという場を借りなくても
たとえ伝えられなくても
だんだんと
あーーこんなことに悲しんでたんだーなどと
自分がじんわり感じれば
まあ自分がわかってあげられればいいか、と思える余裕も出てきて
オトナ心とコドモ心の両方が少しずつ育っていけるようになる。




そんな体験と感動があったおかげで
ヒプノでインナーチャイルドを扱えるセラピストになりたい、なろう!
と思いいたった。




また続く。


私の怒りとのつきあい 2

つづき
…を書こうとしたら管理画面にログインできなくなりしばし放置していました。
気を取り直して続き。


感情にまつわる問題の中で
特に怒りの感情には手をやいた。

親密な相手と共に暮らせば腹がたつ時もある。

でも、それを適切に、建設的に表現できない。

なぜかというと
表現の問題以前に自分の感情をうまく把握できなかったからだ。

感情を麻痺させるクセがあったからといって
まったく感じないわけではない。
不快である、ということは十分に感じてずっと蓄積されている。

でもその不快感が
ざっくりと「怒り」とか「イライラ」であるとしか説明をつけられない。

どういうことが嫌で怒っているのか、とか
怒っているのだけど
実はこういうわけで悲しいのだ、とか
実はこれが不安なのだ、ということを心の中で明確にできない。

「何が嫌なのか」がぼんやりしているから
それを明確にしたいあまり
ずっとその怒りにまつわることや
その対象や関係について考えてしまう。

でもなんというか、それが結構な落とし穴で
理解しようとして、楽になりたいがために
対象や関係について考えているはずなんだけど
そうすると
あまり自分の気持ちが見えなくなるときがある。

頭で考えているときはあまりじっくり感じることができないんだ。
相手の行動の意図や
自分がどういう考え方や対応をすれば、この状況が変わって(全て対応次第で変わると思っているのもまたパターンなんだけど)
不快感をなくせるのか
という対策などを
頭で考えていると
自分の感情を「感じる」ことがおろそかになってしまう。

実は先にじっくり感じることが必要だったのに
対策・対応・ガマン
という方向で頑張ってしまっていた。


そしてそうしているあいだ、感じないで蓄積されている感情は
エネルギーが圧縮されてもはや衝動レベルへと移行してしまっている。

少々の怒りなら
さっと

むかつく!とか
やめてよ!とかいって

出しておしまいかもしれないけど
衝動レベルにまでなった感情は
そんなに軽やかな怒りではない。
そのまま相手にぶつけてしまうと
相手へのダメージがかなりあるくらいに育っちゃってる。
育てる意欲なんてさらさらないんだけど。

で、
そんなものをぶつけたら
その結果がブーメランのように私に返ってきて、結局双方痛い思いをする。
というかした。それも何回も。

なので、どうしても伝えたいことがあっても
なるべく感情エネルギー的にはレベルを下げつつ、何が嫌かなのかを明確に伝える必要があった。


衝動が大きすぎてそのままぶつけられない。
それを抑えるのにエネルギーを使いすぎて苦しく
自分でもこれが嫌だと明確に特定できず説明もできない。
説明できないから表現をやめ
結局またエネルギーを蓄積する悪循環。


とてもとてももどかしかった。

なんで頑張っても変わらないのか
なんでこんなことができないのかと
自分を責めたりもした。

でもどこかでは
そんな苦しい悪循環は
昔のパターンと同じだとわかっていた。
だからそこを理解したり癒したりするのが必要なんだと。

それは子どもの頃感じていた感情のぐるぐるそのもの。


「なんでお父さんはそんな病気なのよ!」

と決して口にできない言葉を飲み込んで
(本人だってそれで苦しいのだから受け止められないしね)
父が病気であることで、私は何を感じて
何がどう嫌でどうしてほしいのか
そんな細やかなことを考える余裕もなかった頃
その頃の、日々不快な感情のふたを閉めて
その環境に適応して
生きていくための対策を立てるのに必死な子どもの心が
そのまま再現されているような気がした。

たぶん無意識的に
そういうシチュエーションを選んで
成長、あるいは納得したかったのだろう。
今度こそもうできる、乗り越えられると思いたかったのかもしれない。

子どもの頃は確かに苦しかった。
ほかの手立てを知らなかったから。
でも
大人になっていろいろ学ぶと

相手にそのままの怒りを伝えられない
イコール
感情にふたをする

という図式しかこの世に存在しないと思っていたのはただの思い込みだったことがわかってくる。


抑圧された感情のふたを開けて
空気を抜くように解放して
衝動的な不快・怒りの理由や
本当は自分が何を感じているか感じられるレベルまで落ち着かせる。

その上で、相手と自分の感情を大事にしながら
伝えたいことを伝える。

そんなことが私には必要だった。





 また続きます。長い!










プロフィール

あや

Author:あや
インナーチャイルドセラピー
ヒプノセラピー
アクセスバーズ等のセッション
及びアフターカウンセリングを行っています
(女性限定)


ウェブサイト
 http://aarteeni.net/


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