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貴重で濃密で感謝いっぱいの

月に一度のトレーニングの会へ。

この日は寒くて雨が降っていて
厚手のコート着れば良かったなあ、とか思いながら
下を向いて黙々と事務所に向かって歩いていた。

改札から南方向へは歩行者用の回廊があって
明るいシルバーの手すりがついているのだけど
そこを小さい家庭用ブラシみたいなのを使って清掃していた人が3人いた。

雨だし冷えるし細かいし大変な作業だなあ。

と思って、改めて手すりを数メートルずーっと眺めながら歩いていると
隅々までなんの汚れもなく、とてもきれいだった。

できてから何年も経っているのに
これを維持するの結構大変だろう。
こうして日々掃除してくれている人がいるんだよなあ。

*********************************
今回は新しく参加してくださる方もいた。
まっすぐな茎からぱぁっと咲く美しいお花みたいな方。

そしていつものように密度の濃いシェアリングの時間を過ごした。

皆それぞれが過ごしたひと月のことを話してくれる中で
いくつか印象に残る言葉やその人の物語があったけど
中でも何人かの人が言っていた
「向かい会うための準備ができたから起きている」
というフレーズが
私の中に残っている。

多分、みな
多かれ少なかれそういうことを体験している。
特に「向かい合おう」としている人にとっては
起きる事柄や感情に対して
よりはっきりそう思うのかもしれないな、と思った。

私も
落ち着いたと思ったらまたかよ⁉︎
なんでまたこんなに辛い目にあうんだよ!
と思った時が何度もあったけど
あれは 今、向かい合えってことだったよな
夢にまで出てきてガツンと言われたこともあったな
なんて思い返したりした。

みなそれぞれ違う道だけど
同じ景色を見ることができると
ひとりじゃないと思えてとても嬉しい。


シェアリングが終わるともう外は暗くなっていたけど
この日は基本的技法の練習。
今回はカウンセラー役で
心の深い部分を丁寧に探っていく作業に関わらせてもらった。

終えてみての感想は、ただただ

パートナーになってくれた人の
心のしなやかさと勇気に敬意

そして
信頼して話してくれて心からありがとう

と思うばかり。


「実はこんなふうに思っている自分がいる」とわかることって
なかなか簡単にできることじゃないと思う。
普段意識しにくい心の深い部分のことだし
シェアリングで何人かの人が言っていたように
向かい合う準備ができていないとわからない。

わからないとか準備ができないことが、悪いわけじゃあ決してないと思う。
それぞれみんな課題の重みや時期や種類が違うし
受け止め方も人それぞれで各々のプロセスがある。
ひとつやふたつわからないまま人生終えたって
その人はその人なりの別の学びがあったのだからそれでいいんだ。
学びなんて人の数だけあるのだから。

でも、その何かについて「わかりたい」と心のどこかで思う時があれば
向かい合うことは素晴らしいことだと私は思う。

けどそれは
ひとつ見つけるだけでもかなり大発見な
とてもとても大事なものだと思う。

そんな繊細で大事なものを
自らぐぐーっと奥に入って見つけ出せるのは
それ相当の積み重ねがあるから。
大事なものの上に被さったものを
言葉にしてはなしていく、その蓄積があるから。
数分前のシェアリングの内容さえも
自分の心の奥深い部分を照らしていくための糧にしてしまうような
そんなしなやかで柔らかな「筋力」を見せてもらって
人ってすごいな、と毎回思うことをまた思った。

それに加えて

いろいろといろいろと経緯がある中でも

私を信頼して話してくれて
繊細な作業に関わらせてもらって
本当にありがとうございます

と深く頭をさげたい気持ちでいっぱいになった。
その勇気に深く深く感謝したい気持ち。


それだけでも十分貴重な経験なのに
さらに2つの学びのきっかけも得られた。

ひとつはカウンセラー役としての学び。
これはもう、真剣に話してもらったからこその学び。

もうひとつは自分自身についての気づき。

その大事なお話の内容と
丁寧に自分に向かい合うパートナーの気づきや
心の動きの細やかな表現に
「あ、私も似たようなこと思っている」
と気づかされることがいくつかあった。
いくつか?いや、いっぱいかな。

そして、私自身のことを改めて感じ直している。
私の場合はどうなのかな?ということを。

そんなきっかけが得られるのもまた滅多にない貴重なことだと思う。
今回のお話を聴かせてもらえなけば
細やかに言語化してくれなければ
気がつけなかった
私がわかっておく必要のある、私の気持ち。


話をしてくれたことで、私は大事なものをたくさんいただきました。

本当にありがとう。

トレーニングの会に、パートナーに、感謝。














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寄り添うヒント

人に「寄り添う」っていうのはよく使われる言い回しだけど
簡単に使われる割にはかなり難しいものがある、と思う。
そんなことについて考えさせられるここ数日。

勉強会に出たり、講座を受講したりして
自分と他人の、感覚や情報処理方法の繊細な違いを目の当たりにして
しみじみと
人って本当に様々なんだ
と当たり前のことを思った。

様々で自分とは違うからこそ
少しでも分かりたい
寄り添いたい
と思うのだけど

自分が当たり前のように使っていた言葉や感覚の独自性を知らないと
相手のそれにも近づくことがちょっと難しくなる。

あれ?寄り添いたいけど、なんか遠いぞ?

ということが起きたりする。

今回講義を受けて、その
「なんか遠い」を解決するヒントを得られたような気がする。


あなたはあなたのその感性でそのように感じるんだね
あなたが自分の宝物を見に行く時は
そこを手がかりにして、そうやって行くんだね

と、ある演習を回想して納得できたような感じ。

つい数日前に あれ? と思ったことが
講義を受けることで納得できる嬉しさを感じる。


こんなことを学んだこの期間
人に何かを教える立場の人の話を聴く機会が
2度ほどあった。

どちらの人も

新しく接する人に対して
今までのやり方では通じにくかったから
違う言い方ややり方をしてみたら
うまくいったんだよ

というような内容の話だった。


自分がやってみてできなかったことを
改めて勉強してそこで納得すると
自分にとって新しい世界が広がる。

でも、私の周りの人たちも
みなそれぞれの持ち場で工夫しながら
同じようなことを学び
誰かに何かを伝えようとしたり
誰かの何かを分かろうとしているんだよな。

そんな人たちに敬意を抱きつつ
私は私のことをひとつひとつやろう、と思った。






























その思い込みで誰が幸せになるのか

シチューをご馳走になった。

先生の作るご飯は
レトルトパスタであっても全て美味しいなあと思っていたけど
この日いただいたのも
滋養に満ちた味がしてとても美味しかった。

普段、自分の作るものばっかり食べてるから
本当に誰かの作ってくれるご飯がありがたくて仕方ない。

ただでさえ美味しいシチューを
そんな気持ちも手伝ってさらに美味しく感じて
遠慮なく平らげてしまった日。


ご馳走になった後
ヒプノの初回講座を受けた。


その思い込み(負の催眠)で誰が幸せになるのか?

いや、誰もならない。


ということを痛切に感じた今回だった。



あたりまえだけど、万人に共通する「こう生きるべき」生き方なんて、ない
(もちろん一定のラインはあると思うけど)。
生まれてから生きていく中で、
自分がいくつかの「こうあるべき」を選びとって生きていく。
意識的にも、無意識的にも。

でもその生き方が
いつしか自分の幸せからほど遠くなっていたとしたら
なんだか苦しくなって
超賢い無意識は
いろんなサインを発してその人に「これは違う」と訴えかけるだろう。

サインを無視する生き方もまたありだけど

それは何を意味しているのか考えながら
意識と無意識を協力させながら
その人の、その人だけが心から感じる幸せを探り感じながら
生きていく
という方が、私は好きだ。
その方が幸せだと私は思うから。
そうじゃない逆の生き方をしてきて「これでは生きられない」と思ったから。
生きられないというのは極端かもしれないけど
本当にそう思ったのだ。

自分もそのように幸せでありたいと思うし、そうできずにしんどい、という人がいるなら
その人のパイプ役に喜んでなりたい。

だからヒプノを学びたいと思った。


そうして先生のところで学ぶ第1回目は
先輩の言っていたとおり、テキストの一言一言が大事だった。
だから、取りこぼさないように、身体に染みこませるように、集中して
うん、うん、と聞いていたから
あまり言葉にできなかったけど
こういうことを学びたかったのだ、と、とても満たされて幸せだった。

で、冒頭のことを思い知ることにもなった。

面白くて満たされるのだけど
ダルマ落としの遊びのように
かなづちで かこーんかこーんと殴られるような衝撃もある。

ダルマ落としの積み木がなくなるように
いらない思い込みも外れるといいのだけど。

いや、思い込みを持っていてもいいけど
そこから上に登って360度見渡せるくらいの余裕ができるといいのかな。

ともかく「自分も周りも幸せにならない思い込み」があることに気が付き

それは昔は大事だったかもしれないけど
今や誰も幸せにならないものなんだとわかると
じゃあなんで持っているんでしょうね?という話になる(自分の中でだけど)。

そういうのを持っている人のセラピーも受けたことがあるけど
なんとなくしんどくなってきて
そうすると、いいパイプ役にはなれない
そういう場合もある。

だからできるだけそういうのからは自由でいたほうがいい。

でも、自分がどんな種類の「それ」を持っているのかって
自分でもわからない部分がある。

授業でも出してみたけど
受けて帰ってきてからも
ああこれもこれも、とバラバラ出てくるし
たぶんこれからも出てくるはずだと思う。
出てくるたびに
ええっこんなこと思ってたんだ
と驚くほど、分からなくなっているものすらある。

でも、これがスタンダードだと思っていたところから
あれ?これは思い込みかもよ
しかも誰も幸せにならない系のやつだよ
とわかる その学びの過程が
私にとってはなんだか楽しい。
思い込みに気がつくたびに自由になる気がする。

わかるとできるは全然違うので
自由になるまでには
あーまだまだ解放できない!と頭を抱えることになるのだろうけど。


上級コースの授業を受けている時だったか
ヒプノのことについてこう感じるんだ、ということを先生に話したことがある。

有名な彫刻家が
「なぜそれを創ったのか」と聞かれた時に
「そこにすでにあったのだ」と答えた
という話

すでにその人が持っている宝物のようなものに触れさせてもらうって
すごいことだ、と思う。

畏敬という言葉でしか今は表せない。
でもそれにかかわれたらそれは、私にとっての幸せだ。

それは人相手でも、自分自身のことでも、そう思う。
自分のことだってもしかしたら一生かかっても分からないくらいの
深遠なものかもしれない。
分かる分だけでももうけものかもしれない。

そのための学びなのだから
まあ頭抱えるくらいなら、いいのかもしれない。














プロフィール

あや

Author:あや
インナーチャイルドセラピー
ヒプノセラピー
アクセスバーズ等のセッション
及びアフターカウンセリングを行っています
(女性限定)


ウェブサイト
 http://aarteeni.net/


Instagram

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