ありがとう、ありがとう。

生きてるとみんなそれぞれに大変なことがあると思うけど
3年近く前、先生のところに初めて行った時は
私も自分的に結構しんどい時期にあった。


その頃に見た夢のことを鮮明に覚えている。

目の前に白鳥ボートくらいの巨大な白い鳥がいて
突然、何か理由はわからないけどその鳥のお腹が真一文にざっくり切れてしまい
ばしゃー-っとバケツをひっくり返したように鮮血が飛び散って
床が血の海になってしまった。
慌ててタオルを持って鳥に近づくと
上のほうへ飛び立ってしまったので
仕方なく血であふれかえった床をタオルで拭く
という夢。

そして、その血を拭う作業は私1人ではなく
先生と小さい女の子の3人でやっていた。
あの鳥の傷はなんなんですかねー?
とか先生に聞きながら
床を拭い続けていた。


そんな夢を見たあと、講座を受講し始めた。


今振り返れば
講座を受講したことは、まさにそういう側面があったなあ
と思う。

私が見たあの傷はなんなのかを考え
血を拭い続ける作業。
もちろん、それだけじゃあないけど。

それは自分がやらないといけないことなんだけど
1人ではとてもできなかった。

夢の中で先生と小さい女の子が
一緒にやってくれたように
講座のなかでもそのようにしてもらった。

そして、夢を見た時はそんなことがあると思いもしなかったけど

実は仲間がいて
各々自分の大事なことに真剣に向かいあっているのだけど

一緒に課題に取り組んだり
ご飯やおやつを食べたり
時に床を拭うのを皆で手伝ってくれたりした。
いろんなことで笑ったり泣いたり怒ったり黙って見ててくれたりした。

これも私1人ではできないことだ。


そういう方々が皆忙しいなか、
昨日、卒業のお祝いをしてくれた。

ありがたいことだなあ。


もう何度も祝ってもらってて
すでに幸せキャパオーバー気味なのだけど
またも純粋に甘えて楽しんでしまった。

美味しいランチやお茶をいただいきながら
いろいろたくさん話し
駅近くのショップを見ながら
あれかわいいねーこれうまいねー
とのんびり歩いた。

美味しいイタリアンからカフェに移動しようと皆で歩いて
エスカレーターで登っていく姿を一番後ろで見上げながら
ああ幸せだなあ
わたし皆のこと大好きだなあ
と心から思った。

何が大好きなのかなあと考えると
みなそれぞれその人らしく
それぞれ違う自分の道を日々真剣に生きているからかなあと思う。

そういうところを敬愛している。

みな違うんだけど、真剣に歩くと道の途中で見る景色が同じこともあって
見た見た、わかるわかる、と
共有し合えるのが嬉しくもある。

まあ、共有というよりも
あーそういうことだったんだ!
と私がわかるその数ヶ月あるいは数年前に
先生や先輩は自分の道の中でそれを見ていた、
ということのほうが多いのだけど。

だから最近ようやく私が
そういうことか!と思ったこと、
例えば、前に進みたいけど進むの怖い、とかのように
ふたつの気持ちの両側を
同じように等しく感じることの大事さについても
皆すでにそれを見てきている。内容は違っても。
知識ではなく、経験として。
それを知ると
やっぱりそうなんだな、
大事にしないとな、とまた改めて思ったりする。

そんな人達と一緒に
美味しいもの食べたり、飲んだり
思うこと話したり、
ただ歩いて素敵な物見て素敵と言ったりできて

なんかもう、幸せな1日だった。




そうそう、お仕事のある先生とお別れしたあと
皆で北口に向かい、ある小さな運試しをした。

見事に全員外れた(笑)


そうなんだよ、いつもいつも毎回ラッキーだとは限らないんだ。


だからこそ、こういう幸せな出会いとか出来事が
一生のうち何回も
当たり前にあるものではなくて
ひときわ輝いた貴重なものに
私には見える。


お祝い、どうもありがとう。
幸せな時間を、どうもありがとう。













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パイプ掃除の日

一時的に拍手ボタンを置くのやめてみようかなあと思って
設定を変えたら
今までの記事の分も全部消えてしまうのですね!

知らなかった。ちょっと残念。




ここ数日、排水口の流れがいまいちだなあと思っていたら
だんだん本格的に詰まりだしてきた。

洗面所のボウルに水をためて
ちょっとした洗い物をしたあと、
栓を抜いてもうまく流れずに
たまり気味になっている水を見ながら
「早く流れないかなあ」
と思っていたら

「あなたの部屋はあなた自身を表しています」
みたいなフレーズを急に思い出した。

多分風水か断捨離かなんかの本に書いてあった言葉。
散らかった部屋は散らかった心を
いらないものを溜めた部屋はいらないものを溜めた心を
表してますよ、だからきれいにしましょう
という内容だったような気がする。
違うかもしれないけど。

それに沿って考えるとすると
流れない部屋が表しているのは、流れない心?

わああ、いかにも!
今、よどんでいるかも!
もろもろの私のパイプ、詰まってるかも!

さっそくドラッグストアで「強力」「高密着」と書かれたクリーナーを購入し
洗面所だけでなくキッチンやお風呂場の排水口にも流し込んで
ザバーーーーっと水で洗い流した。

結構ちゃんと効くんですね、パ○プマン。すごい。
詰まり気味だった洗面所も
水がたまらず、スムーズに流れるようになった。
すっきり流れると気持ちいい。

すっきりついでにコンロまわりや床磨きやいろいろ済ませ
自分のためだけにチャイを淹れて一息ついていたら
雷がなって雨が降りだした。


浄化ですなあ。
早くしんどい梅雨が明けるといいなあ。


自分の心や身体は
クリーナー流してザバーン、はい終わり!ってわけにはいかないけどね。

でも心も身体も周りの環境も
みんなつながっていると考えるなら
こんなふうに目に見える爽快なやり方も
私は結構好きだったりする。






ありのままと向上心

習い事の仲間と食事をしながら思う。

自分の親ほども歳の離れた人生の先輩達と
上司と部下の関係でもなく、援助被援助の関係でもなく、親戚でもない
ただの共通の趣味を持つ仲間として話ができるのはありがたいことだなあ、と。

そして
ありのままのできなさ加減を笑い飛ばすことと
向上心を持つことは
共存するんだよなあ、と。


「今はあれできないわ」
「こんなにできなくて笑っちゃうよねー」
「自分ではできないから、こうやって先生に指摘されるとありがたいわね」
「うまい人と一緒にやると自分もうまくなろうって刺激がもらえていいわ」
「えっ今度難しいのやるの?あら楽しみねー」

こんな会話を聞きながらそう思った。


だいぶ前のことになるけど
心理学の授業中に先生にこう言ったことがある。
「ありのままでいいって認めてしまうと、それ以上向上できないような気がするんです」。
たぶん基礎過程の最初の頃だったと思う。

その時の私の捉え方としては、
ありのままでよしイコール何もしない、だから進歩も向上もしない、それは嫌だ
という感じだった。

今は、どうだろうか。

ありのままを認めないことには先に進めないじゃん、
と思う。

認めるから練習したり対策を考えたりできるのであって
だから向上もできるし
今はその分野の向上を目指さないという選択もできる。

いや~できない、と落ち込んだりする、
そう感じる自分自体尊いものだととらえることもできるし
なんで落ち込むのかなあと考えることで
できなさ具合を「ダメ」と責めることなく
「自分なりにやってるけど今はできないね」と愛おしんだり
時には笑い飛ばすことだってできる。

そうすることで
力が抜けて向上することもあるし
向上以外の何かが得られることもある。

そしてそれが結構大事なことだったりする。

ありのままを認めるってことは何もしないとか進まないことじゃないんだなあと思うのである。


そうは思っているけど
自分のせいでひどい危機にあったら
落ち込んで
できない自分を愛おしくだなんてとても思えないことだってあるだろう。
笑いとばすどころか
どっぷり泣いて自分を責めたりすることもあるだろう。

多分それが今の私なんだなあと思う。

わかるようで、わかってないかもしれなくて
思うことと行動が一致しないのはかっこ悪いなあと思っていて
だから今、いろんなところで
こういうことよって見せてもらって練習しているような
そういう状態が
今のありのままの私なんだなあ。

そんなふうに認めると
なんかほっとするような、嬉しいような気持ちになる。

向上も大事だけど、向上以外も、大事だなあ。












三拍子マーマレード

かわいくて美味しいものをいただいてしまった。

021.jpg


山口県の光國本店さんのマーマレード。

萩では知らない人はいないという位有名らしいです。
すみません、知りませんでした。


まず箱がかわいらしい。
ラベルが表からはみ出てる感じとか
字体のレトロな雰囲気とか
グリーンの色合いとか
上質な箱の作りとか

ぐっときます。


普段マーマレードを自分で買うことはないのだけど
いただいてみると
わあ、こんなに美味しかったんだマーマレードって
と感動してしまう位のお品。
爽やかで、甘過ぎず、上品でキラキラして
とっても美味。
パンに塗ってももちろん美味しいし
カフェオレに入れても、
某シアトル系コーヒー店の季節限定品みたいで
何度も飲みたくなってしまうほどだった。


しかも原材料がこちら

023.jpg

「夏みかん、砂糖、水飴」

ああ~いさぎよい。
すてき。
きゅんとします。
こういうのに私弱いです。
きっと作る過程で丁寧な工夫がなされて、
手間もかかっているのだろうなあ。


創業は幕末だそう。

幕末‥‥

いいものをずっと長い間作り続けるためには
きっとたくさんご苦労もあっただろう。

戦争だってあったし、天候不順とか不況とか
素人では思いもつかないことだってあっただろう。

それでもこんなに美味しくて素敵なものを
ずーっと長く守り続けているなんて

なんかかっこいいなあ。

美味しくて、かわいくて、かっこいいだなんて
褒めすぎでしょうか。

でも大目に見てください、好きになってしまったので。


















個別的であるということ

少し気力が落ちていたので
さてどうしようかな、何しようかなと考えていた時に
ふと思った。

気力が落ちる時って誰にでもあると思うのだけど
そのケアの方法をみな一人ずつ
その人なりに持っているって
すごいことだなあ、と。
たとえ自分自身でそれがまだわからなかったとしても
敬意を抱いてしまうなあ、と思った。

私も長い間、そのケアの仕方がわからなかった。

なぜかというと、
まず気力が落ちるということが感覚的にわからなかったし
落ちたら困るのでそれを認めなかったし
ようやく落ちたことを認めた時には
「どうして落ちるんだ!」と自分に怒っていたから
ケアするなんて発想自体が出てこなかったからだ。


今思うとずいぶんひどい人だ。
部下をこき使う鬼上司みたい。こわいわあ。


気力が落ちるにはそれなりの理由があるもので
その理由そのものを解決したり
そのものずばりじゃなくても全体を底上げしたりすると
なんとなく意欲がわいてきて復活したり次に行けたりする。
その理由に向き合う活力が出て、解決できたりもする。

でもその方法はとっても個人的なものだから
一般的にこれがいいよっていうものがすべての人にあてはまるわけではない。
自分で「どうやらこれが自分にはいいらしい」というものを
探していかなければ見つからないのだ。

例えばエアロビでガンガン汗を流すと気力回復、という人もいれば
カフェで読書することでチャージする人もいて
家の掃除をするとすっきりしてやる気がみなぎる人
家事を放棄してだらだらすることで動けるようにになる人
とにかく身体の欲する美味しいものを食べる!飲む!という人
ストイックに玄米菜食でイキイキする人

十人十色、千差万別である。

その人の体質や好みや
その時のコンディション、落ち具合
その他いろいろなものによって違うし
タイプの違うものを同時に持つ人もいる。
お互いとても似ている人がいたとしても
微妙にそのパーセンテージが違っていたりもする。

そんなとても個人的なものを、みなそれぞれ持っているのである。

以前の私のように、自分でその時はわからなくても
確実にある。
顔や体型がみな違うように
気力のなくなり具合も、その補い方もみな違って、
それぞれにとって最適なものが存在している。


よく使われる言い回しの
「答えは自分が持っている」ってそういうことだと思う。


もちろん、生物として一応共通するものはあるだろうけど
(例えば自然から切り離されて生きるのはムリですよねとか
呼吸はしっかりしたほうが気は巡りますよねとかいろいろ)
そういう、
大変個別的で、ひとりひとりみな何かを持っている生きものである「人」に対して
それってすごいなあ、と思う。
そりゃあ、ひとりひとりを大事にしないといけないはずだよね、と思うのである。

これは別に気力の回復に限った話ではなく

食べものの好みだって
お肌の手入れ方法だってそうだし
その人の生きる道や
幸せや
病気との付き合い方なんかにも
同じことが言えると思う。

みなそれぞれのものを持っている。

そして、それを大事にしようと思った時
助けになるものの一つに自分の経験があると思う。

自分のことをわからないなりに一生懸命みて
いろいろ試して
失敗したり成功したり
なかなか難しいなあと思ったりしたことが
誰かをみる時のヒントになる。


そう思うと、昔の私は
鬼上司のひどい人で良かったのかもしれない。
鬼上司過ぎて部下がストライキ起こして、
なかなか動いてくれなくなっちゃったから
どうしたものかといろいろ考えて
それじゃないあれじゃないと困って
良かったのかもしれない。

そうでなかったら、私は
人ってとても個別的で尊重されるものだという
そんな当たり前のこともあまりよくわからなかったかもしれない。

わかる人にはすぐわかることだろうけど
私にはこういう過程がないと腑に落ちなかったかもしれない。


個別的なことを尊重するってことは
関係が近い間柄ほど難しい場合もある。
私もそのことで悩んだことがあるし
多分これからもそういうことがあるだろうから
簡単には言えないけど
人って、一人ひとり違うものを持っているんだよなあ
と敬意を抱いたことを
忘れないようにしよう、と思った。

多分、私もいろんな人に
そうやって尊重してもらってきたのだろうから。






プロフィール

あや

Author:あや
インナーチャイルドセラピー
ヒプノセラピー
アクセスバーズ等のセッション
及びアフターカウンセリングを行っています
(女性限定)


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 http://aarteeni.net/


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